11年ぶり「芦安鉱山跡地への登山教室」実施!
2016/05/23更新
NPO法人芦安ファンクラブは11年前に歴史の検証としてドノコヤ峠~芦安鉱山の古道を整備し、参加者を募って登山教室を開催した。前日の座学には最後まで芦安鉱山を管理していた日原さんにもお話をうかがった。なんと登山には当時そこで生活をしていたというご婦人まで参加してくれた。そんな11年前の登山教室の思い出に浸りながら、今回の2016年の登山教室の計画を始めた。
2016年5月14日に芦安ファンクラブの精鋭数名でルートの下見に行ったのだが、登り始めて唖然とした。あれだけ明確だったルートが全く視えない。長い時間とはいえこんなにも荒廃するものなのか。記録的な大雪も大きな要因で、大木が蔓交じりのまま倒され道を塞ぎ、雪崩は道を寸断するほどの大きなガレ場を作り、悪戦苦闘の末、ドノコヤ峠へたどり着くのが精いっぱいだった。
下見下見
これではとても登山教室にはならない。急遽、整備に向け、専門部隊を派遣することになった。そして、約1週間かかって芦安鉱山跡地への道が整備された。
整備作業整備作業
5月22日、登山教室は絶好の晴天、まさに新緑登山日和になった。参加者と会員総勢15人は、仕上がったばかりのコースを順調に登っていく。途中には鹿の食痕とみられるハシリドコロやその後の整腸に食べたかは不明だがキハダの皮も食されていた。河原歩きや大きなガレ場を高巻したりしたためにドノコヤ峠には予定より少し遅れた。
ドノコヤ沢歩きドノコヤ峠にて
案の定、峠の面影はなく、奈良田側に大木を倒し、大きく崩れたやせ尾根になっていた。しかし狭い窓からの展望は参加者を満足させてくれた。ここからジグザグの下りをドノコヤ沢に下り、鉱山跡地まで河原歩きとなる。そこの周囲は新緑の木々と下草が茂り、いにしえの面影を残していたのは居住区の造成した石積みと、深くなった谷の脇に残っていた用度販売所の建物跡がその場所を示していた。
鉄柵場跡閉孔された坑道
ここで早川隊の鞍打、富山両氏と合流し、いわば歴史的な史跡価値の共有に時間を使いたかった。が、我々の到着が遅かったために彼らはゆっくり周囲を見学し、すでに満足げであった。帰りを急ぎたい我々はAFC歴史文化部の渡辺氏の講義もそこそこに、火薬庫や坑道跡そしてズリ場くらいしか見ることが出来ず、忙しくも少し未練の思いを抱きながら帰路を歩み始めた。
火薬庫坑道跡
坑道の前でズリ場
道沿いにはフジやキリ、トウゴクミツバツツジの花が鮮やかな濃淡の紫に咲いており、一行を楽しませてくれた。また、少し体調を崩した人もあったがAFCのサポーターや早川隊のレスキューに助けられて予定より1時間遅れで桃の木温泉に着いた。ここでゆっくり疲れを癒してもらい、無事に修了証書を手渡すことが出来た。今回整備したコースも、多くの人に活用していただければAFCの汗も報われることになる。